写真はアートなのか、写真なのか。

父親の一周忌ミサが終わった。ミサ終了後に中之島国際国立美術館で「アンドレアスグルスキー展」を鑑賞した。アンドレアス・グルスキーの写真は何度か京都近代美術館等で何枚かを観た事があったが、個展として写真を観たのは初めてだった。
グルスキーの写真に対しての世界観と今の現代写真表現として何を表現するのかを「ド━(゚Д゚)━ ン !!!」と叩き付けられるような個展だったと思う。

写真展示、写真・・と言われて、一般的に何を想像するのか。綺麗で風光明媚な風景風景写真を見て「素敵ですね、綺麗ですね」で終わるのか。「ウーム」と唸ってしまう写真を撮るのかはそれぞれではあるものの、昔は「こんなの写真じゃない」と言われるような写真がグルスキーの写真には見られる。確かに、グルスキーの写真は大きいし、細かいし、綺麗だ。但し、写真として構図などは、「写真好き」が好む写真ではない。伝えてくるものは、社会に対するシニカルな作者の想いだ。
全編カラー作品の中には、数多くの職員が配置された証券取引所やF1ピット写真、緻密に加工された衛星から観た海の写真、写真の全域にピントが合ったスーパーマーケットの写真などの「写真」として面白くはない写真が多く含まれている。

毎日「兆」枚数規模の写真が世界のどこかで撮影されており、もはや写真と撮ることと写真を展示することの希少価値が薄れて来ている。その中で写真への次へのアプローチを求めるものは、「作品」に対する作者の考えが、どれだけ強く織り込まれているかがインパクトを決める手になる。特にグルスキーの「Rhein2」は、写真として史上最高価格の4億円価値がついている。・・・が、しかし、今回のグルスキー展で「Rhein2」が展示されていたものの、その写真の大きさはとても4億円とは思えない(展示写真が4億かどうかは不明だが。)大きさで、ライン川の背景をばバッサリとデジタルカットした純粋なライン川の写真だった。写真作品を作る立場から言わせていただくと「有り得ない」のだ。普通は多少の修正は加えるものの、自己表現のためにそこまで加工はしないと思う・・いや、できないだろう。

それができてしまうのが、凄い所。それだけでインパクトを与えてしまうのはコロンブスの卵の様な表現だったと思う。写真を加工することは写真ではないという意見も日本では多いが、写真を加工してアートとして表現すると写真なのか、アート作品なのかと問われるとどちらともと考えてしまう。今、写真はその表現の在り方を大きく変える時期なのかも知れない。



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