被写体への礼賛

最近、写真の被写体の知識やタイトルをもっと深く考えることが大切ではないかと思う事がある。

勿論、感覚として撮ることも大切だ。ただ、それと写真以外の知識も必要だと感じる。昨日、とある写真講評会を見学していた時のこと。タイトルに「陰影礼賛」と書かれた組写真があった。
あ、谷崎潤一郎かなと思って観たものの誰一人して谷崎潤一郎の名前を口にしなかった。しかも、「いんえいれいさん」と周囲から呼ばれていた。実際は「いんえいらいさん」なんだろけど。
写真は、昼間の神社風景写真をモノクロにして真っ黒にした写真ではあり…陰影を捉えた綺麗な写真だった。
でも、谷崎潤一郎のタイトルを付けるのであれば陰影礼賛の小説雰囲気をもっと出しても良かったのではと感じた。

陰影礼賛の小説は、日本の昔の家屋の中で行燈に灯った薄明かりの光に照らし出された日本家具や家屋のスーッと現れ、スーッと消えていく描写が有名だと思う。どちらかというと影が主体ではなく、影に照らされた物体の質感、反射するほのかな明るさの美を描く。

撮影者が谷崎潤一郎を知っていたかどうかはわからないが、恐らく読んだことはないだろうと思われる。それには写真を撮ることには被写体や表現内容に対しての知識も必要である事を強く思った。

ゲーム好きだからゲームクリエーターになりたい、映画好きだから映画監督になりたい、漫画好きだから漫画家になりたい、アニメ好きだからアニメーターになりたい…勿論、それは大切だがそれだけではダメだ。昔はそれが理解できなかった時もあったけど、最近はそれが何となく理解できる様な気がする。


だからと言って、美味いビールはやっぱり写真よりも実際に飲む方が良いよな。







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