セルフポートレート

 大学の課題をクリアするのにセルフポートレートという課題があった。要は自分を表現するのに自分自身に向き合ってみて、自分は誰なのかを知る必要があるらしい。自分自身がよくわかるセルフポートレート…。自分がどういう人間でどう見えるのかなんて考えたこともなかった、いや、考えたくなかった。何故考えたくもないのだろう。自分という存在がなければこの文章も生まれていないはずなのに。自分の外見が醜悪だから?醜悪よりも自分自身を見つめた時に自分に嘘を付いてるからではないだろうか。現実の自分に目を背けなければならないからなのか。


Wikipediaの自己否定を読んでみる。

自身の何らかの行いについて、内在する規範意識(正しいと認識されるルール)に反していると感じる所から罪悪感は生まれる。」

つまり、現実の自分は、本来の自分のルールよりも何かが反している所があるのか。これは心理学的にだが。例えば自分は写真を撮るのは好きなのに写真を撮られるのは大の苦手だ。証明写真なんて本当は嫌で嫌でたまらない。写真を見ると下からねめあげた40代のくたびれたおっさんが羨ましそうにこちらを見ている。何か物欲しそうな目で・・。そんな自分が許せないのだろうか。
自分が納得したセルフポートレートは良い。他人が撮る自分の写真が嫌なのだ。現にレリーズで撮影したセルフポートレートは撮り直しがきくのだが他人が撮る自分のポートレートは撮り直しがきかない、寧ろ、他人の視点で自分を見ているのだ。

結論として、自分がなぜ自分の写真を嫌いなのかが理解できた。自分が撮るセルフポートレートではなくて、他人が撮る自分のセルフポートレートが嫌いなのだ。シャッターを誰が切ったのかだ・・・と言うことは常日頃から自分は他人の目線をかなり意識していて、他人が自分をどう見ているかが気になっている。それは誰でもがあることなのかもしれないが。
自分自身は客観的に自分を見ることは難しい。なのに他人の目線から見る自分をすごく気にしている。他人は自分は何者に見るのだろうか、自分は誰なのだろうか。鏡に映った自分は自分の姿なのかどうなのか、それは幽体離脱でもしない限りは自分を見ることはできないのだから、それも自分ではない。虚像に過ぎない。

もし、同じ時間に同じ場所で、自分が納得して撮ったセルフポートレートと他人が見て、自分がシャッターを切ったセルフポートレート、果たしてどんな違いになるのだろうか。

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