どこまでが盗用なのか。

4月から通い出したスクールもようやく8月半年弱が経過した。本当は時間があったらならば、本気で通学生の美術スクールにも通いたいとは考えたりもしていたのだけど、それをするにはあれこれと時間が遅すぎたのかも知れない。

ただ、結局、どういったどのレベルのスクールに通おうとも、自分次第になる。学内だけの授業で全てが学べるなんて・・とは過去の社会人経験からもそうは思っていない。本当に突き詰めるには実践から学ぶしかない。更に言えば授業からも自分で気付きを発見しなければならない。知識を知恵に変えてでも。

先日のコラージュの授業でもネットからではない雑誌記事、新聞、自分の写真からプリントした画像を再構成するにしても、アナログ的に切り貼りすると、PCでやるよりも手を動かしていると色々と発想が色々と湧いてくる。Photoshopを利用すればそれはそれで簡単なんだろうけど、おそらくPC作業で行う分には想像の拡張性はなかったように思える。特にスパッタリングを用いることは考えもつかなかっただろう。

コラージュについてはCold playのジャケ 写から発想を得たものではあるが、現在世間を賑わしている、所謂、「パクリ事件」をどこまで模倣と参考にできるかをあえて考えてみる為にもわざと着想してみたのだ。結果としては、やはりアイデアを借りるのは楽だ。しかし、人間の想像は、もともと過去にどこかで印象を受けて見たイメージから来ているのではないだろうか。そう考えれば丸々盗用するのは問題あるが、若干の似た部分がっても、現代の情報が反乱する世の中において仕方のない点もあるかも知れない。
意識的でもなくても無意識の内に刷り込まれているイメージだってあるわけだし。

しかし、無意識からくる過去のイメージをどこまで罪として咎めるかには基準がない。
これは似ているからダメだ、あれも類似しているからダメだというだけでは新しい発想も生まれてくるはずもない。そのジャッジをどこに委ねるべきだろうか。


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