鈴木崇さんによる写真講評会

 鈴木崇先生・・というか、以前からは何度もお会いしているので今更に先生とは呼びにくい気もするのだが、鈴木さんの写真レビューを受講しに宝塚、清荒神にあるTeracoへ行ってきた。

 参加者は8名。一人ずつ机の上に写真を並べてゆき、写真の説明時間は2分。2分以上は不要だという。昔、演劇で3分自己表現という練習をしたことがあったが自分の中で2分という時間は長いのか短いのかよくわからない時間であった。しかも、何故かトップバッターになってしまい、些か緊張気味ではあったが自分の写真の説明を行った。今回持ち込んだ作品は14点。写真は全て壁などが接合された面をモノクロで撮影したものだ。今回の作品制作にあたっては、建築家や施工業者、人間、自然が意図せずに重なり合った線と面が構成された幾何学の様な模様を自分で写真を切り取るとることで写真から何が見えてくるのかという実験的な写真だった。被写体は人の意思によるものが介在したのではなく、偶然によって折り重なった平面構成図が出来上がったものだ。そこで自分が観測者として写真を撮るとことで、偶然は哲学的には必然へと変化する。その変化は観測者(即ち閲覧者)によっても変化するかどうかという意味で写真を撮影していると説明した。多分・・・3分くらいになってしまったのかな。
 8人全員のレビューが終了し、鈴木さんが一人、全員へそれぞれアドバイスを開始した。まずは全員に共通して言えることは、「個人の想いを入れすぎている」ということだ。写真を撮影しているのだから、説明は短くても良い、しかし、そこに個人の思い入れを説明する必要もなく、閲覧者に作者が言いたいことを説明できるような道筋を作品に与えてやれば良いとのことだ。ただし、写真はどこまでいっても主観から抜け出せないことは事実であり、ギャラリーにはそれを匂わせるものではあってはならなという。

 美術館で写真を鑑賞者が観て、その写真を観て通り過ぎるのは3秒だという。折角作った作品が3秒でスルーされる、そういうわけではなく何故この人はこれを撮ったのだろうかという考えさせる発想が必要だ。鈴木さんはそう述べられた。
 個人的なアドバイスとしては、以下の様な内容だ。

・何を見せれば幾何学に見えるのかを考えること。
・街の壁を撮影したとしても「偶然性と次元」を表現するのであれば、一度内容を精査する必要がある。
・写真には色々と考え方を詰め込むことだが、それを前面には出さないこと。
・何が偶然性なのかを明確にすること。
・次元を表現するのであれば、そこから発展するワームホール(次元の穴)の様な出口を見つけること。
・個展のDMは、目立つ工夫が必要だ
・僕の写真はマイナー・ホワイトやアーロン・シスキンドに似た傾向があるものの、それれは既に表現として出尽くした感がある。それをさらに突き詰めるのかどうか。
 それを行うにはデジタルで撮影するよりも、フィルムで撮影して、暗室プリントで考えながら撮る方が良い。
・デジタルカメラで撮影するなら、撮った後にモニターでプレビュー画面を観ないことで被写体の重要性を改めて考える事ができる。


・作品の仕上がりができた際には、自分がその作品を言い値の10万円で買う事ができるかどうかを確認することだ。それで初めて自分の作品に価値が付く。
・作品は最終的にメディアとして出すのか、写真として出すのか、大きさはどうするのかを考える必要がある。


などなど・・他にも色々とあるものの、書ききれない部分があったが次の課題としては自己の作品テーマを精査し、言葉として伝えることを短くすることだ。逆にそれを作るには作品をどう作るべきなのかという事も考えなくてはいけない。惹きつける写真を作るには、主観を排除した作品を作るには。なんだかミニマリズムの考え方にも似ている気がする。



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