入江泰吉記念奈良市写真美術館

 入江泰吉記念奈良市写真美術館は何年振りだっただろうか。以前は写真に全く興味がない時に訪れて写真を観ていたので、入江泰吉がどんな写真家で、どんな写真を撮影していたのか殆ど忘れていた。事前に入江泰吉の自叙伝などを読み、彼の功績を読んでいたものの単なる爺むさい写真を撮る人だけではなかったようだ。

 入江氏の写真と写真と人生を館内スタッフの金子さんという男性から話を聞く。最初は人形浄瑠璃のモノクロ写真から撮り始め、仏像、風景、スナップ・・そして奈良の大和路写真を撮り続けた。次第に入江氏の写真は「滅びの美学」、「昔の人が見た風景」をテーマに変え始め、昔の人が見た風景への拘りを、演出を以って撮り続けていく。

 入江泰吉の写真は、一見普通の風景写真のようにも見えるが実はよく見ると計算されており、どうとも綺麗な写真であることには違いないが、綺麗すぎる写真でもない。どちらかというと地味ではあるけれども特徴もない写真なのに、どことなく入江氏が撮影した写真だとわかるものが多い。

 写真をよく見ると風景写真なのに被写界深度が深くない。普通、風景写真だと絞って端から端までピントが来るような写真を撮ろうとするのだが、遠景でも少しぼんやりしているものが多い。また白トビが極端に少ない。フィルムはエクタクローム64というポジフィルムだったらしいが、低感度フィルムを使用して、白トビが少ないのはやはり露出がきっちりと計測されているということである。
 露出はスポットメーターを利用していたということであるから、露出にはこだわっていたに違いない。それにより電線をボヤかしたりすることで昔の風景にそぐわないものを消したのだ。何かこういう所を読んでしまうとウジェーヌ・アジェを思い出してしまうのだが、アジェは使用していた写真機がスローシャッターでしか撮れないという理由もあったが極力人の少ない時間帯を狙って撮影していたこともあり、入江氏と拘りっぷりが少しにているような気もした。

 また、構図もよく考えられおり見事なまでの美しい構図が考えられいる。偶然なのかどうなのかわからないが、黄金分割比も用いられているようだ。

 つまり・・入江氏の写真は

  • 露出がきちんと計測されている。
  • 絞りも演出のため計測されている。
  • 望遠の単焦点レンズを用いる。
  • 見せ方を充分に考慮している。
  • 色を押さえ気味で撮影している。

 後は、入江氏の奈良大和路の原風景をいつまでも演出により留めておきたい位という強い意志があったのだ。
 今回のスクーリングテーマは「入江泰吉になりきって写真を撮ること」という強い制約があったが故に、技術的な「入江泰吉の真似」はできても、撮りたいと思う心までは真似できなかった。また地の利というべきか、好きだからこそ探せる入江氏の撮影ベストボジションも発見できなかった。

 後からの先生による写真講評では「情報が多すぎる」とのアドバイスをいただいた。それは写真の内容ではなく、カメラを変えたり、画角を変えたり、紙を変えてしまったりと・・その点では一定の収まりがなかったような気がする。拘るならそこまでもきっちりすべきだった。なんにせよ入江泰吉の写真を研究することで入江泰吉が自分の絵作りに拘る理由がわかったような気がする。自分の写真にもそれらを取り組んでみることは必要だろう。また、先生からのアドバイスでは「好きな写真家を見つけること。ただし一人だけではなく、例えば6人見つけること。6人見つけてそれぞれの写真の魅力を自分に取り込めば真似ではなくオリジナルにすることができるという。

 好きな写真家・・・日本の写真実家だと石元泰博、海外だとルイス・ボルツ、マイナー・ホワイト、アーロン・シスキンド、モホリ・ナギ・ラースロ、アルベルト・レンガー・パッチュ、アンドレ・ケルテスなどだから・・。古目の写真家が好きなのかも知れない。造形的なものか。


入江泰吉にはかなり遠い。

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