Facebookを視るということ。

Facebookに投稿して、他人のTLをなぜ視るのだろう。視るというより読むことの方が近いかも知れない。他人に興味があるからなのか。しかし、その人とあった時にその人のFacebookの投稿内容などは1/10も覚えていないかも知れない。辛うじて「そういえば…」と脳内の奥にこびりついた記憶の共通点を絞り出してくるだけだ。

だが、自分にとって有益な情報は取捨選択してしっかりと覚えているのだ。例えば他人が「Aというケーキ屋が美味しかった。ここですよ。」という投稿をしたとすると自分はケーキが食べたかったから覚える。しかし、その際には「Aというケーキ屋が美味しい」という情報は覚えているが他人がそこで何をしたのかということまではなかなか覚えていない。インパクトの大きいものは覚えるだろうが。
つまり、Facebookの投稿を視るということは他人の動向、その人自身のことよりもその人の先にある目的や行動内容の方から記憶として貯めこんでいくのだろうか。

Facebookは他人を賞賛するためのものでもない。自分へ有益な情報を探すための情報ツールとして存在している。 他人と交流を深めることは稀かも知れない。

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