写真を。

最近、たまに写真で迷うことがある。写真で迷うのは常の事なのだけど、写真を撮るということ、作品を作ろとすること、写真表現をすることの意味。


別に写真でなくても写真にドローイングしてやろうかとも思うこともある。世界で数時間の間に何兆枚との写真が撮影され汚い写真も綺麗と思える写真も飽きるくらいに出回って行く。

暗室プリントの写真は綺麗で良いけど、それに拘ってしまう理由もない。そういうのであればフィリップ・サルーンの様なプリンターになればいいのだ。僕はフィリップ・サルーンにあって話してみて、ああ、この人は本当にプリンターだと感じた。見る人のツボを押さえたプリント職人だと。でも、彼が絶賛した写真は僕に良さは伝わらなかった。なんの変哲もない綺麗なプリントだった。 逆にアンセル・アダムスは綺麗なプリントだったが、自分の描く写真作品を目指すために全身全霊をかける想いが伝わってきた。

僕はアンセルアダムスやサルーンほど器用な人物でもない。寧ろ暗室プリントは苦手だろう。


自分が撮らなくても良いんじゃないかってくらいに世の中に写真は増えて行く。自分が撮って表現する意味ってなんだろうかと。別に賞を取りたい訳でもなく、賞賛されたい訳でもない。写真でなくても良いんじゃないかって。もう、プリントして見せるのすら面倒かもって。なんのためにするんだろうって。


僕が写真というメディアに対して魅力を感じるのは写真史や美術史、写真家の考え方が他の美術家と比較して哲学的で面白いからだ。写真は唯一バカな実験ができる視覚芸術と言ってもいいだろう。

そこが好きなんだけど。


それと元々は自分は他人が良いというものに対して疑問を持つことが多い。誰もがカメラを向ける美しい被写体を撮って、撮った後は楽しいのだろうか。何故、人は写真を撮るのだろうという疑問を持ってしまう。


今までは楽しく撮ってきた写真がここへきて急に撮れなくなった。頭を空っぽにして自分の写真をもっとプリントしてみてじっくりと向き合う時が必要なのかもしれない。今年は他人の動きをを気にしないことにした。


Don't thik feel....


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