写真を撮る理由

写真における被写体の存在からは「存在」「時間」「変化」を読み解くことができる。ただし、それらは情報としてストレートに入ってくるのではなく、写真におけるプンクトゥムとして飛び込んでくる。私が写真を撮るのはそれらの「存在」「時間」「変化」を記憶に留めることにより被写体が「かつて=あった」というプンクトゥムが私以外の存在確証になるからだ。

例えば、それは自分の想い出の写真だけではなく他の写真においてもそうだが、写真を見るたびに「かつて=あった」という意識と同時に「もうない」という変化意識が入り混じることで自分以外の存在の時間制の確証を得ることができる。

ただし、デジタル加工が進む今の場合においてはそれもあまり意味をなさないものになっているが。撮影者が確実に「撮った」ものであればいつでも時間性を意識することができる。
荒木経惟の偽日記においてもでたらめな日付であってもそれは明らかに「あった」ものだとより確信ができる。存在の確証となるものはなるべくなくなるもの、消えゆくものの方が良い。その方が見たときに「かつて=あった」という意識付けがより明確にできるからだ。

私は私が時間の中に存在していることを明らかにするために写真を撮る。それが理由。

やはりロランバルトか。


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