良い写真とは何か。

日、ブルームギャラリーで開催された吉川直哉さんの学びバー「良い写真とは何か」に参加した。

写真作家が誰でも頭を悩ます事が「良い写真とは」だ。それが判れば苦労はしないのだが、自分もいつもそれで頭を悩ます。しかも「良い写真」と言われる事が作家としてのステータス・幸せにつながるのかどうかもわからない。
ず吉川さんが見せてくれたのは、二枚のダゲレオタイプの写真。この写真の説明から始まり、「良い写真とは何か」の話を聞いた。

論を先に書くと「良い写真とは」の答えは出なかった。なぜ出なかったのかをメモを取りながらの内容だったので、詳細部分の相違はあるかもしれないがブログに残しておく。写真や絵画を楽しむにあたり、美的価値や感動価値が異なることがまずは大きな課題となる。ましてや価値観は日本人だけではなく世界観で見れば「良い写真とは」を統一することなんてできない。それは各国の宗教観や生活、文化も違うので考れば当たり前のことだ。
だが、少なからず鑑賞者へ「良い写真」として感じる(つまり自分の言いたいことを表現する作品)に近づけるための要素を含むべきだ。

は以前仕事柄Webデザインの仕事もした際に「ユニバーサルデザイン」の言葉に頭を悩ました事があった。ユニバーサルデザインは文字どおり「誰にでもわかりやすく使える」ことを目標として製品をを制作することだ。Webの場合はサイトを見る人の環境によって変わるため、それらを考慮してサイトを制作する事が念頭におかれる。ブラウザ、音声、PCなのかスマートフォンなのか、年齢、サイトを閲覧する場所、文章、回線速度、セキュリティ等・・全て詰め込むとなると無理が出るし、どれかを削らなければならない。

写真でも同じ事だろう、全世界の皆に「良い写真」という価値観が統一されていれば楽だが、そうではない。自分も皆が「あの写真が良い」というのに「あの写真は嫌い」という考えを持つ事がある。今回のトークの中で良い写真に近づくための内容を箇条書きにして見た。

い写真に近づくために。

  • 鑑賞者が普遍的に「良い」と感じるもの。
  • 展示や内容で「良い」と鑑賞者のマジョリティとして感じるもの。
  • 自分が「良い」と判断したもの。
  • 自分が「良い」と判断したものであっても、鑑賞者に伝えるには「伝え方」を間違えないこと。伝え方が間違っていると「伝わらない」ことになる。
  • 写真は言語化しなければならない。写真を言語化することで表現として伝わる可能性が高くなる。
  • 写真を言語化すると言うことは、自らの写真について説明、語ると言うこと可能であると言うこと。説明もできないような写真では意味がない。
    →その為には被写体を知り、なぜ撮影したのかを自分も理解をしなければない。写真はカメラが撮影するもの。絵画とは異なりその制作過程においてのプロセスは全く異なるが写真については一枚の写真表現を行うのに十分なリサーチが必要である。
  • 写真は新しいものが良いとは限らない。
    →この点については自分も思う。最近は古い写真の方が好きだ。この被写体は誰なのか、今頃どこで何をしているのか。誰なのかと写真の中で頭を巡らすとこの写真を見なければこの人を見る事はなかったという、その被写体の人生を想像するワクワク感に出会えるからだ。SNSという人と人の繋がりが近い今こそ、「どこの誰なのか」という好奇心にかられる。
  • 良い写真が撮れなければ、撮りたい人の写真を真似をする事だ。
    →写真が撮れなくなったら、撮りたい人の写真を真似すればいい。最初は「なんだこいつ、あの写真家の真似か」と言われるかもしれないが真似も10年経てば自分のものになるという事。確かにそれはあると思う。


その他
  • 写真は見せなければならない。クローズで自分だけという写真ではいけない。
  • 写真はプリントのサイズによって見え方が異なるため、予め写真表現サイズを考えておかなければらならない。
  • 最近は写真は大きくなる傾向にあるが・・必ずしもそうではない。


あと一つ言えることは確かだが、写真とは技術的なものも必要だが
感性、それを伝達能力、知識と知恵が必要になる。
そこれがうまく組み合わさった時こそ初めて自分の伝えたい事普遍的に
表現されるのではないかと感じる。
かと言って誰にもでわかるように芸術を作る訳ではない。

良い写真は自分の経験に裏打ちされた哲学視点も必要であることも付け加える。




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